小松原法難

2014年11月10日      ひと言法話, ブログ      松林院

小松

明日は、日蓮聖人四大法難のひとつ、小松原法難にあわれた日です。日蓮宗寺院では、小松原法難会が営まれます。

 文永元年(1264)11月、日蓮聖人が四十三歳の出来事です。伊豆流罪を解かれた日蓮聖人は、母親の病の知らせを聞いて、鎌倉から故郷である安房に向かわれました。清澄を追放されて11年ぶりの帰郷になります。

 日蓮聖人の帰郷の噂を聞きつけ、一人の男が日蓮聖人の帰りを待っていました。その男こそ大の念仏信者である地頭、東条影信です。

 日蓮聖人 と東条影信には、2つの大きな確執がありました。1つ目は、かつて日蓮聖人が立教開宗されたときに念仏を批判され東条影信が激怒したこと。2つ目は、東条 影信と日蓮聖人の幼少の頃からの恩人である領家の尼が領土問題で裁判になった時に、東条影信が敗訴したことです。当然、日蓮聖人は恩人の領家の尼の味方を したので、そのことを根に持っていたのです。

 1度は権力を使って日蓮聖人を追い出したのですが、恨みを晴らそうと日蓮聖人の命を狙っていたのです。

 そして、 11月11日。日蓮聖人は信徒の工藤吉隆の招きにより、数人のお伴をつれて安房天津に向かう最中、東条影信は数百人の部下を引き連れ、命を奪おうと待ち伏 せをしていたのです。日蓮聖人が現れると大声と共に怒濤の如く襲いかかりました。のちに日蓮聖人はお手紙に「射る矢は雨の如し、うつ太刀は稲妻の如し」と その状況の凄まじさを記されています。この奇襲により、日蓮聖人のお弟子鏡忍坊が討ち死にし、お弟子二名が重傷を負いました。また、日蓮聖人を出迎え、警 護していた工藤吉隆もこの時受けた傷が原因で亡くなりました。この法難で日蓮聖人自身も額に傷を負われ、左手も打ち折られ、まさに殺されんばかりでした。 後日、日蓮聖人は「一体どうしたことか説明のつかない不思議さで脱出できた」と仰っています。伝説に依ると鬼子母神と十羅刹女が現れ日蓮聖人をお助けした とも云われています。

 日蓮聖人は、奇跡的に助かったことをみ仏の御加護とし、この法難により法華経弘通の正しさを確信されたのです。

 また、私たちが毎年冬になると日蓮聖人のお像にお綿を被せるのは、この時の傷が寒さで痛まないようにという思いからきています。