私たちと法華経の縁の深さ

2014年12月10日      ひと言法話, ブログ      松林院

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日々生活していると「偶然」という出会いや出来事が度々起こります。
しかし、仏教には「偶然」というものはありません。全てが「必然」なのです。

あなたが生まれたきた家族、あなたが人生で出会った大切な人、友人、あるいは苦手な人。
その出会いの全てが「必然」なのです。

「袖振り合うも他生の縁」「一樹の陰、一河の流れも他生の縁」という諺も
仏教の世界観を取り入れた言葉です。つまり、あなたの人生で関わる全ての人は、
前世、過去世から「縁」というもので深く関わりあっているのです。

 また、それは法華経にも当てはまります。
私たちは、お釈迦さま在世に霊鷲山にて法華経をお説きになられている時も聴聞していました。
また、五百億塵点劫の昔、久遠のお釈迦さまが法華経をお説きになられている時も聴聞していたのです。

 また法華経に出会えるということも大変ありがたいことなのです。
『妙荘厳王本事品第二十七』に、
「法華経に出会うことは、数百年あるいは数千年に一度しか咲かない優曇波羅(うどんばら)の花に出会うようなものである。
また、広い大海原で、眼が一つしかない亀が、
たまたま浮いている浮き木の穴にめぐりあって、その穴の中に首を入れることのようだ」と説かれています。
私たちは遥か古に出会うことがきわめて稀な法華経に出会い、
それから仏と成る為に生まれ変わりを繰り返し、過去世でも法華経修行を行い、今世に至るのです。

 ですから私たちは、久遠からのご縁、過去世における自分の行いを無碍にしないよう、
日蓮聖人が法華経の修行の肝心と仰っている但行礼拝を実践しなければならないのです。
但行礼拝とは、人を色眼鏡で見る事なく、全ての人を仏と見て敬い接するということです。
今日出会った全ての人が仏さまなのです。誰でもどこでもいつでも、
私たちが相手を敬う姿勢のある限り、必ず何かを教えてもらえることでしょう。
それがたとえ怪獣だとしてもです。