私たちの誓い


私たちの誓い

各法要の最後で、
「衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど) 煩悩無数誓願断(ぼんのうむしゅせいがんだん) 法門無尽誓願智(ほうもんむじんせいがんち) 仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)」とお坊さんがお唱えしているのをお聴きになったことはありませんか?この文句を「四誓(しせい)」と言い、正しくは、「四弘誓願(しぐせいがん)」と言います。

先日、月回向に行った時に、お檀家さんに「四誓(しせい)ってどのようなことが説かれているのですか?」と質問されましたので、今回は、この四誓(しせい)についてご紹介します。

仏教徒である私たちは、お坊さんに関わらず、全ての人がお釈迦(しゃか)さまのお弟子として「菩薩(ぼさつ)」という立場にあります。菩薩(ぼさつ)とは、自ら仏さまになる道を求める一方、困っている人や苦しんでいる人を救い、導く人のことです。四弘誓願(しぐせいがん)とは、私たち菩薩(ぼさつ)が誓う基本的な四つの誓いのことです。四弘誓願(しぐせいがん)の「弘」は、私たちの誓いが広く大きいことを意味しています。また、全ての菩薩(ぼさつ)が常に求めるべき誓いとされていますので、宗派によって多少の語句の違いはありますが、多くの宗派で唱えられています。

四弘誓願(しぐせいがん)の原型は心地観経(しんじかんぎょう)功徳荘厳品(くどくしょうごんほん)第九に見られますが、天台宗の開祖である天台大師智顗(ちぎ)の『摩訶止観(まかしかん)』という書物で現在の形になったといわれています。それでは、四弘誓願(しぐせいがん)とは、どのような誓願(せいがん)なのでしょうか。一つ一つ説明していきましょう。

・「衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)(衆生は無辺なれど、誓って度せんことを願う)」

この世の中に、苦しみ悩む人々が、いかに限りなく居ようとも、皆共に救い、導いていくことを誓願(せいがん)致します。

・「煩悩無数誓願断(ぼんのうむしゅせいがんだん)(煩悩は無数なれど、誓って断ぜんことを願う)」

煩悩が、いかに数限りなくあろうとも、全て断ち尽くすことを誓願(せいがん)致します。

・「法門無尽誓願智(ほうもんむじんせいがんち)(法門は無尽なれど、誓って知らんことを願う)」

仏さまの教えが、いかに尽きない程あろうとも、全て学び、知り尽くし、実践することを誓願(せいがん)致します。

・「仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)(仏道は無上なれど、誓って成ぜんことを願う)」

仏さまになる道が、いかにこの上無き高さにあろうとも、必ず仏さまになる道を成し遂げていくことを誓願(せいがん)致します。

この四つの誓願(せいがん)は、私たち仏教徒にとって、とても大切なものです。私たちは、自らを戒(いまし)め、他者を救い、仏さまになる道を進むことを心に堅く誓い、実践していかなければなりません。

また、誓願(せいがん)とは、サンスクリット語で「プラニダーナ」と言います。この言葉には元々、「前に置く」という意味がありました。つまり、私たち菩薩(ぼさつ)が、仏道修行に入る前に唱える言葉です。それを法要の最後にお唱えするということは、本堂やお仏壇のお釈迦(しゃか)さまに法要の後、実生活に於いて仏道修行に励むことをお誓いするということなのです。朝夕(あさゆう)のお勤め、または、法要の際にお坊さんがお唱えしたら、是非皆さんも菩薩(ぼさつ)であることを自覚し、ご一緒にお唱えして下さい。

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