今回は、皆さんが月回向、法事などで必ずお読みになる『妙法蓮華経如来寿量品(みょうほうれんげきょうにょらいじゅりょうほん)第十六』の『自我偈』の部分の内容を説明します。

まず、『法華経』という教えは、今から約3000年前、インドの霊鷲山(りょうじゅせん)でお釈迦さまがお説きになられました。お釈迦(しゃか)さまは30歳で菩提樹(ぼだいじゅ)という大木の下で悟りをお開きになった後、お弟子さまや、悩みを抱えている人々に対し、色々な方便を持って、その人に合った教えを説かれました。そして、お釈迦さまが72歳の時に突然、「私は今まで、多くの教えを説いてきたが、30歳の時に得た真実の悟りをまだ説いていない。これからその真実の教えを説く。」(四十余年未顕真実(しじゅうよねんみけんしんじつ))と仰たのです。こうして説かれたのが、法華経です。つまり法華経は、お釈迦さまが私たちに本当に伝えたかった「悟り」そのものなのです。そして、寿量品は法華経の中心にあたる一番大切な教えになります。それでは、順番に紐解いていきましょう。

お自我偈の冒頭部分でお釈迦さまは、「私が仏になってから経て来た時は、はるかに遠い大昔。百千万億、とても数えきれない大昔だ。その間私は常に教えを説き、数えきれない程の人々を救い、仏の道に導いてきた。」と仰ています。「あれ?お釈迦さまはインドで生まれたんじゃないの?悟りを開かれて40年ぐらいしか経ってないんじゃないの?」と思われた方もおられると思いますが、安心して下さい。お釈迦(さまの直弟子の方々も同じツッコミをお釈迦さまにされています。(笑)では、いったいどういう事なのでしょうか?なんとお釈迦さまは、寿量品で「始まりのない程、遥か大昔から終わりのない未来まで」(久遠(くおん))の寿命を持って居られると仰ています。経題の「如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)」は、如来(お釈迦さま)の寿命は無量(永遠)であるという意味なのです。しかし、いくらお釈迦さまとはいえ、人間の肉体には限界があります。お釈迦さまは肉体の死期を悟り、お自我偈の中で次の様に仰ています。

「私が常に姿を現わしていると、人々はいつでも私に会え、救ってもらえると思う事から、怠け心が生じ、色々な欲望に捕われて、悪い道に落ちて苦しんでしまう。だから私は不滅だが、人々を導く手段として死んでみせるのだ。しかし、人々が私のことを恋慕い、是非とも会いたいと命を惜しまず、仰ぎ求めるなら、私は姿を現して人々に教えを説くのだ。」

そして、お自我偈の末文にてお釈迦さまは、「私は何時も如何なる時もこう願っているのだ。どのようにしても全ての人々を私の最上の教えである法華経に縁を持たせ、仏の身を成就させ、苦しみから解放させよう。」と私たちの為に誓願を立てられています。

つまり、私たちが、悲しみに打ちのめされている時も、人知れず努力している時も、常にお釈迦さまは私たちを見守って下さっています。そして私たちが悩み苦しんでいる時は、どうにか私たちがお釈迦さまの心や教えに気付ける様、手を差し伸べて下さっているのです。それは、現世だけではなく、私たちの過去世(かこせ)でも同じでした。そして未来世(みらいせ)に於いても、お釈迦さまと共に歩み、進んで行くのです。

6波羅蜜