妙恵会総墓所(京都市下京区堀川松原下る)

当山の境内には墓地がなく、当山より北に5分ほど歩いたところに妙恵会総墓所があります。
妙恵会総墓所とは、本圀寺塔頭戒善院の檀徒であった松永彈正久秀の屋敷跡を戒善院墓地として寄進したもので、以来400余年塔頭寺院で管理しています。

管理寺院一覧
勧持院・松林院・智光院・智了院・林昌院・真如院・詮量院・了光院・松陽院・了円院・本実院・本妙院・本栖院・智妙院・久成院・一音院・瑞雲院・英鏡院  計18ヶ寺(順不同)


いつも参拝者によりお塔婆やお花が供えられています。

永代供養、納骨ご相談下さい。


いつも墓地を見守ってくださっています。

正面中央に久秀の戒名「妙久寺殿祐雪大居士」その右には久秀と共に信貴山城で戦死した子の久通の戒名「高岳院久通居士」が刻まれています。

松永彈正久秀(1510〜1577)って誰?

大和信貴山・多聞山城主。永禄12年4月以降は山城守とも称します。従四位下彈正少弼。山城西岡の商人の出自などともいわれ、前歴不明ながら戦国時代屈指の謀略家で主の三好長慶から実権を奪い、時の将軍足利義輝を永禄の変(1565)で殺害し、畿内を支配しました。また永禄10年(1567)、南都における戦で、兵火により結果的に東大寺大仏殿を炎上させました。
後に織田信長に属しますが再三背き、天正5年(1577)10月に信貴山城にて名器平蜘蛛茶釜と共に自ら火を付け、爆死。
松永弾正久秀は、下克上の代表的な人物として北条早雲や斎藤道三と並んで「戦国三悪人」の一人ともいわれており、次のようなエピソードがあります。
織田信長が挨拶に来た徳川家康に対し、傍に控える松永久秀を指して、「この松永久秀という人間は、常人には出来ないことを三度も行った男だ。十三代将軍足利義輝を暗殺したこと、また主家の三好氏を滅ぼしたこと、さらに東大寺の大仏を焼き払ったことである。」と天下の大悪人として紹介したそうです。
しかし、大悪人と言われている松永彈正久秀も信貴山城近郊の人々からは、連歌や茶道に長けた教養人であり、領国に善政を敷いた名君として、慕われていたそうです。