法華経(ほけきょう)の鬼


法華経(ほけきょう)の鬼

法華経の『陀羅尼品第二十六』(だらにほん)には鬼子母神(きしもじん)という鬼が
仏法を守る誓いを立てる場面があります。

鬼子母神は『法華経』以外にも『大集経』や 『仁王経』というお経に仏法の守護者として登場します。
ではこの鬼子母神は、いったいどの様な鬼なのでしょうか?
どうして鬼なのに仏教に帰依したのでしょうか?
鬼子母神にはこの様なお話があります。


むかしむかし、インドのある町に、
鬼子母神という名前の恐ろしい鬼が住んでいました。
鬼子母神は、500人もの子どもを持つ母親 でした。
彼女は子どもたちを育てるために、人間の町へ行っては幼い子どもをさらい、食べてしまうのでした。町の人々は恐れ、悲しみました。「どうか、子どもたちを助けてください!」
嘆く人々の声は、やがてお釈迦さま(おしゃかさま)の耳に届きました。
お釈迦さまは鬼子母神の心を変えるため、ある試練を与えました。
それは 鬼子母神の最愛の末の子を隠すことでした。
鬼子母神はある日、いつものように500人の子どもたちを世話していました。
ところが、一番かわいがっていた末の子の姿が見当たりません。
「どこへ行ったの?」
「誰か見なかった?」
鬼子母神は狂ったように探し回りました。
家の中も、町の外れも、森の中も…。
でも、どこにもいません。
はじめは怒っていた鬼子母神でしたが、やがて胸が張り裂けそうになりました。
「私の大切な子どもが…消えてしまった…」
鬼子母神は涙を流し、ついにお釈迦さまのもとへ行きました。
「お釈迦さま! 私の子どもを知りませんか?」
お釈迦さまは、優しく微笑みながら言いました。
「お前は、たった一人の子どもを失っただけで、こんなにも苦しいのだね?」
鬼子母神は震えながらうなずきました。
「では、人間の母親たちはどうだろう?」
「お前が子どもを奪うたびに、彼女たちも同じように涙を流し、苦しんでいるのだよ。」
その言葉を聞いたとき、鬼子母神の心に初めて「母としての本当の痛み」が生まれました。
「私は…私は、なんてことをしてきたのだろう!」
鬼子母神は涙を流しながら、お釈迦さまの前にひざまずきました。
「もう、二度と人間の子どもを奪いません。
どうか、私も人々を救う道をお教えください!」
すると、お釈迦さまはにっこり微笑み、手をかざしました。
「では、お前が食べていた子どもの代わりに、このザクロの実を食べるがよい。」
お釈迦さまが手にしていたのは、真っ赤なザクロの実 でした。
鬼子母神はそれを受け取り、一口かじりました。
すると、不思議なことに、甘くて美味しく、満たされる気持ち になったのです。
鬼子母神はそれ以来、二度と子どもを食べることはなくなりました。
それからというもの、鬼子母神は 「子どもを守る神」 となり、母たちの味方になりました。
「これからは、私が人々の子どもを守りましょう。」
お釈迦さまは満足そうにうなずき、鬼子母神に仏の教えを授けました。
鬼子母神はその教えを守りながら、安産や子育ての守護神 として人々を見守ることになったのです。
こうして、かつては恐れられていた鬼の母は、
仏の慈悲によって慈愛の女神 へと生まれ変わったのでした。
鬼子母神の名前は、やがて日本にも伝わりました。
各地で鬼子母神は祀られ、今でも多くの母親たちが「子どもが元気に育ちますように」と
願いをかけています。

一般的な節分では 「鬼は外、福は内」 と言いますが、
日蓮宗では 「鬼はうち、福はうち」 と唱えるお寺さんが多いです。
これは、鬼を単なる悪者として追い払うのではなく、
鬼も福とともに受け入れ、共に生きる という法華経の考え方に基づいています。
私たちの心にも怒り・憎しみ・欲 などの「鬼」がいます。
「鬼は外」と言って追い払うだけでは、こうした感情は無くなりません。
むしろ、自分の弱さや悪い心も認めた上で、良い方向に変えていくことが必要なのです。