2013年7月27日
盂蘭盆会(うらぼんえ)って何ですか?
ご質問ありがとうございますm(_ _)m
うらぼんえは、ウランバーナという古代の印度の言葉を、そのまま漢字を当てはめ日本語にしたものです。
だから漢字の意味より発音に重きを置いています。ほかにはお墓に建てる卒塔婆、お坊さんの僧という言葉、ご主人のことをいう旦那、本堂の伽藍など、知らず知らずに使っている印度の言葉はたくさんあります。
さて、ウランバーナとは「逆さづりの苦しみ」という意味です。
お釈迦様のお弟子で十代弟子の一人に神通力を使える目連さんという方がいます。なんとあの世とこの世を行ったり来たりできる超能力を持っています。
ある日、目連さんは亡くなった母親に会いに行きます。あの美しく優しかったお母さんの姿を探してお浄土を探し回ります。しかし、どこにも母親の姿はないのです。
お 浄土から順番に下に降りてきて、とうとう餓鬼の世界にやってきます。なんと、するとそこには変わり果てた目連さんのお母さんの姿がありました。
餓鬼道に堕ちて、逆さづりにされ、想像を絶する苦しみを味わっているのです。目連さんは泣きながら母親を助け起こします。
「目連よ、よく助けに来てくれた。私はこの餓鬼道の世界におとされて以来何も食べていないのだ。何か食べ物をおくれ。」
目連さんは得意の神通力でごちそうをだし母親に差し出します。 しかし、あろうことか母親がそれを食べようとすると炎となって燃えてしまうのです。
「熱いよ熱いよ、目連、水をおくれ。」慌てて目連さんは法力で水をだし母親に飲まそうとします。
するとどうでしょう。水がまた炎にかわって、益々母親を苦しめるのです。もうどうするすべもありません。母親を助けようとすると、かえって苦しめてしまうのです。
目連さんは、途方に暮れて、現実世界に戻って、お釈迦さまのもとに相談に行きます。
「お師匠様、私は母上がなぜ、餓鬼道で苦しんでいるのか理由がわかりません。あの優しかった母上が。。。
お師匠様のお弟子の中で神通第一とまで言われる私が、餓鬼界で苦しむ自分の母親さえ救うことができないのですか。」
目連さんから事の次第を聞いたお釈迦さまは、静かに語り出されます。
「目連や、おまえの母親は慳貪(けんどん)の罪を、この世で犯したのじゃ。
母親とは自分の子供がかわいい。かわいいゆえに自分の子供さえ良かったら、ほかの子供はどうなってもいいと思うようになってくるのだ。
我が子のために、我が子のためにと、むさぼりの罪を母親は知らず知らずのうちに犯してしまう。母性の悲しい性(さが)じゃ。」
「すると母上は私のために餓鬼道に堕ちたのですね。それだったら余計に私は母上を救わなければならない。何故、私は自分の母親さえも救えなかったのですか。」
「目連や、餓鬼の世界で苦しんでいたのはおまえの母親だけだったか?」
「いえ多くの餓鬼が同じように逆さづりにされていました。」
「それでは、なぜお前は、自分の親だけを救おうとしたのか。母親と同じ罪を犯しているのだ。そのような者の神通力が通じるわけがない。
おまえは考え違いをしている。私の十大弟子といわれ、すこし天狗になっていたな。」
「お師匠様、この目連、恥ずかしゅうございます。どうか餓鬼界で苦しむ人たちすべてを救う方法をお教えください。」涙ながらに目連さんはお釈迦様にお願いするのです。
この時に、お釈迦様がお説きになった救済の方法が、後に盂蘭盆会におこなわれる「施餓鬼供養」といわれるものです。
夏安吾(げあんご)といって、夏の修行が終わった日に、僧侶に飲み物や食べ物を供養して、お経をよんでもらう。
そのお経の力を餓鬼界に苦しむすべての者たちに回し向ける。 そうすることによって同じく餓鬼界に苦しむ目連さんの母親も救われるという訳です。
法華経に「願わくは、この功徳を持って、あまねく一切に及ぼし、我らと衆生と皆ともに仏道を成ぜん。」とありますが、この精神でしょう。
ウランバーナ 逆さづりの苦しみとは、私達のものの見方が180度まちがっているから、それをなおすために逆さづりにされる。
お自我偈にある「顛倒の衆生(てんどうのしゅじょう)」というのが、逆さまに物事をみて、餓鬼界におちて苦しんでいる私達のことかもしれません。
今年の盂蘭盆会では、ご先祖様への供養とあわせて、自分を見つめなおす日にもしたいものです。南無妙法蓮華経。
京都日蓮宗布教師会発行物「はなしの種」参照