開山は日蓮聖人の直弟子である六老僧日朗上人の高弟の九老僧、妙音阿闍梨松林院日行上人で、曆應元年(1338)、下野(現在の栃木県)浮田に天霊寺と号して創建されました。
しかし、大本山本国寺(当時は「圀」ではなく「国」。『本国土妙』から本国寺。)が日行上人の兄弟子である日静上人(九老僧日印上人の弟子)によって京都六条堀川に移転するのに際に、貞和元年(1345)に法性寺、勧持院(西大坊)、持珠院(北大坊)、戒善院(南大坊)の4ヶ寺と共に随行し、京都姉小路に布教の場を変えました。
その後、応仁の乱(1477)で焼失し、本国寺内に塔頭寺院として再建しました。以後、開山の院号にちなみ天霊山松林院と改称しました。移転後の開基は松林院日慶上人で本山塔頭の筆頭とし、東大坊と称されていました。
創建後、度々兵火に焼かれており、現在の本堂は大正末期に建てられたものです。
昭和46年に大本山本圀寺が京都山科に移転してからも現在地に残り、法灯を脈々と受け継いでいます。
・山門について(伏見城の遺構)