三草二木の喩えって何ですか?


三草二木の喩えって何ですか?

三草二木(さんそうにもく)のたとえは、法華経に説かれている7つのたとえ話の1つです。
三草二木の喩えは『薬草喩品第五』に説かれています。
『信解品第四』で「長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の喩え」を述べた
四大声聞(偉いお弟子さん)の理解が正しいことを、お釈迦さまは「その通りだよ」と言い、
さらに別の譬えをもって捕捉し、教えられたのが『薬草喩品』です。
三草 三草2

では、どの様な喩え話かというと、
「この世界の山や川や渓谷などの土地には、
いろいろな草や木が生い茂っており、その種類は多く、名前も姿もそれぞれ異なっている。
そこに空いっぱいに雲(密雲)が広がり、平等に雨を降らす。
その雨は平等に降りそそぎ、この世界の草木を全て潤おす。
草には大、中、小(三草)、木にも大、小(二木)と大きさなどの異なりがあるが、
みなそれぞれの大きさにしたがって潤い、生長する。
これらの草木は、同じ一つの大地に生え、一つの雨の潤すところであるが、
同じ雨を受けても、草木はそれぞれの大きさや性質によって異なる成長し、
花を咲かせ、実を結ぶ」

このお話は、大地に生える草木を衆生(私たち)、
雨を降らす密雲をお釈迦さま、
降りそそぐ雨をお釈迦さまのお説法(50年間の全ての教え)、
草木が雨によって潤いを受けることを教えを受けること、に喩えています。
お釈迦さまの教えは全てのものに平等に説かれますが、
聞き手の素質、能力、心情によって各々の成長に異なりが生まれます。
しかし、いずれ全てのものが成仏すると、仰っておられます。

一相一味であるお釈迦さまの教えは、
「一切衆生(全ての生き物)を成仏させたい」という大慈悲から生まれています。
しかし、私たちの機根(能力)は千差万別で、同じ教えを聞いても、
同じように信解出来ないので、差別が生まれます。
そしてお釈迦さまも機根に応じて法を説いたので、
様々な教えと三乗(菩薩、縁覚、声聞)が生まれました。
つまり、三乗もまた一乗(成仏)に入らせるためのお釈迦さまの慈悲より出た方便なのです 。
三乗の存在も一乗と同様に仏の教えとして不可欠な存在(不二)なのですね。
衆生の機根は不平等だが、いずれ全ての衆生が成仏するという事では全て平等なのです。
みな異なった境遇、差別のままで法華経によって平等に仏の境地に帰着する、
とお釈迦さまは仰っておられます。

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