日蓮宗について

本尊
久遠実成の本師 釈迦牟尼佛
宗祖
日蓮大聖人
開宗
建長5年4月28日(西暦1253年 鎌倉時代)
経典
妙法蓮華経
題目
南無妙法蓮華経
教義
日蓮宗はお釈迦さまの説かれた最高の教えである「法華経」をよりどころとし、この「法華経」が真実であると身をもって証明された日蓮聖人を宗祖として仰ぎます。
仏教の最終目標である成仏とは、死ぬことではなく、「お題目」を身口意の三業で受持することをいいます。すなわち口で「お題目」を唱え、身と心で「菩薩行」を行うことです。
この法華経と宗祖の教えを信仰し、弘め、すべての人々の幸せと社会の平和を目指し、仏の国土を実現します。
※「菩薩行」については特集の「雨ニモマケズ」をご覧下さい。

日蓮宗の聖日

2月15日 
釈尊涅槃会(しゃくそんねはんえ)
釈尊(釈迦牟尼仏・ブッダ)がインドのクシナガラにおいて、80歳で涅槃(ニルバーナ)に入られた聖日。
2月16日 
宗祖降誕会(しゅうそごうたんえ)
宗祖日蓮聖人が、承久(じょうきゅう)4年(1222)2月16日、千葉県小湊でお生まれになった聖日。
また、日蓮聖人がお生まれになった日には、庭先で泉が湧き出し、浜辺には白い蓮の花が咲き乱れ、深海の鯛が岸辺に群れ寄ってくるという不思議な現象が起こったといわれています。
4月8日 
釈尊降誕会(しゃくそんごうたんえ)
釈尊が釈迦族の王子として、今からおよそ2500年前の4月8日、ネパールのルンビニー園でお生まれになった聖日。
一般的に「花まつり」という名称で親しまれ、全国的に甘茶を飲む習慣があります。
4月28日 
立教開宗会(りっきょうかいしゅうえ)
京畿遊学を終えた日蓮聖人が、建長(けんちょう)5年(1253)4月28日、生まれ故郷である千葉県小湊の清澄寺で法華経の弘通を宣された聖日。
5月12日 
伊豆法難会(いずほうなんえ)
日蓮聖人は、文応(ぶんおう)元年(1260)、正しい教えに目覚めない鎌倉幕府に『立正安国論』を上呈します。弘長(こうちょう)元年(1261)5月12日、日蓮聖人は反感を持つ者のざん言により、幕府によって捕らえられ、伊豆へ流罪となりました。
8月27日 
松葉谷法難会(まつばがやつほうなんえ)
『立正安国論』を上呈し、他宗の非を示したことで、日蓮聖人は命を狙われます。
文応元年(1260)8月27日夜半、松葉谷の草庵に、聖人を憎む者が暴徒をさしむけ、草庵を焼き討ちしました。
9月12日 
龍口法難会(たつのくちほうなんえ)
文永(ぶんえい)8年(1271)、日蓮聖人が幕府や諸宗を批判したとして、聖人は幕府に捕らえられます。
捕らえられた当日の9月12日の夜半、ひそかに首をはねてしまおうと龍ノ口の刑場に引き出されますが、にわかに雷鳴とどろき光り物が出現して難を免れたと伝えられています。
10月10日 
佐渡法難会(さどほうなんえ)
龍ノ口での処刑を免れた後、文永8年(1271)10月10日、日蓮聖人は佐渡流罪と定まり、愛弟子や信徒を気づかいながら佐渡へ流されました。赦免されるのは、それから3年後。聖人の予見した蒙古襲来を告げるフビライからの国書の到来によってでした。
10月13日 
宗祖御会式(しゅうそおえしき)
体の衰えと長年の弘通の疲れにより、身に病を得た日蓮聖人は弟子の勧めで常陸の国(茨城県)へ湯治療養に向かうため身延山を下りました。途中、病状 が悪化し、弘安5年(1282)、武蔵国(東京都)池上氏の邸で療養されますが、10月13日の朝8時半頃、60年に及ぶ波乱のご生涯を閉じられました。
11月11日 
小松原法難会(こまつばらほうなんえ)
文永元年(1264)11月11日、安房国小松原(千葉県鴨川市)で、念仏信仰者であった地頭の東条景信に襲撃され、弟子2人が殉死、2人が重傷、自らも左腕を折られ、眉間に三寸のきず疵を負われました。
現在、その時の傷が痛まないように、寒い季節には日蓮聖人像の頭に綿帽子を被せる習慣があります。
※上記の伊豆法難・松葉谷法難・龍口法難・小松原法難を合わせて、日蓮聖人の四大法難に数えられおり、日蓮聖人の苦難の生涯を追想するために行います。