2022年9月19日
三草二木の喩えって何ですか?
三草二木(さんそうにもく)のたとえは、法華経に説かれている7つのたとえ話の1つです。
三草二木の喩えは『薬草喩品第五』に説かれています。
『信解品第四』で「長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の喩え」を述べた
四大声聞(偉いお弟子さん)の理解が正しいことを、お釈迦さまは「その通りだよ」と言い、
さらに別の譬えをもって捕捉し、教えられたのが『薬草喩品』です。
では、どの様な喩え話かというと、
「この世界の山や川や渓谷などの土地には、
いろいろな草や木が生い茂っており、その種類は多く、名前も姿もそれぞれ異なっている。
そこに空いっぱいに雲(密雲)が広がり、平等に雨を降らす。
その雨は平等に降りそそぎ、この世界の草木を全て潤おす。
草には大、中、小(三草)、木にも大、小(二木)と大きさなどの異なりがあるが、
みなそれぞれの大きさにしたがって潤い、生長する。
これらの草木は、同じ一つの大地に生え、一つの雨の潤すところであるが、
同じ雨を受けても、草木はそれぞれの大きさや性質によって異なる成長し、
花を咲かせ、実を結ぶ」
このお話は、大地に生える草木を衆生(私たち)、
雨を降らす密雲をお釈迦さま、
降りそそぐ雨をお釈迦さまのお説法(50年間の全ての教え)、
草木が雨によって潤いを受けることを教えを受けること、に喩えています。
お釈迦さまの教えは全てのものに平等に説かれますが、
聞き手の素質、能力、心情によって各々の成長に異なりが生まれます。
しかし、いずれ全てのものが成仏すると、仰っておられます。
一相一味であるお釈迦さまの教えは、
「一切衆生(全ての生き物)を成仏させたい」という大慈悲から生まれています。
しかし、私たちの機根(能力)は千差万別で、同じ教えを聞いても、
同じように信解出来ないので、差別が生まれます。
そしてお釈迦さまも機根に応じて法を説いたので、
様々な教えと三乗(菩薩、縁覚、声聞)が生まれました。
つまり、三乗もまた一乗(成仏)に入らせるためのお釈迦さまの慈悲より出た方便なのです 。
三乗の存在も一乗と同様に仏の教えとして不可欠な存在(不二)なのですね。
衆生の機根は不平等だが、いずれ全ての衆生が成仏するという事では全て平等なのです。
みな異なった境遇、差別のままで法華経によって平等に仏の境地に帰着する、
とお釈迦さまは仰っておられます。