六波羅蜜(ろくはらみつ)


六波羅蜜(ろくはらみつ)

6波羅蜜

六波羅蜜(ろくはらみつ)とは、私たちが普段、心がける6つの修行項目のことです。
「波羅蜜」とは、項目っていう意味です。

①布施波羅蜜(ふせはらみつ)

②持戒波羅蜜(じかいはらみつ)

③忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ)

④精進波羅蜜(しょうじんはらみつ)

⑤禅定波羅蜜(ぜんじょうはらみつ)

⑥智慧波羅蜜(ちえはらみつ)

以上の6つがあります。
これから順番にひも解いて行きましょう☆(゚ω゚☆)(☆゚ω゚)☆

①布施波羅蜜(ふせはらみつ)

布施というのは、「施し(ほどこし)」のことです。
しかし、誰かにものを与えれば、それが布施になるということではありません。
布施が布施であるために、三つの条件が必要なのです。

①施す人の心がきれいであること
②施される人の心がきれいであること
③施す物が清浄であること

布施というものは、相手にやるものではありません。
相手に受け取って頂くものです。
もちろん布施を受け取った人が卑屈になったり、お礼を考えては布施にはなりませんし、
布施する方も当然お礼を期待してはいけません。

例えば、ケーキが一つあって、友人とケーキを分けるときに相手がかわいそうだから
ケーキを分けてあげるのは、布施の精神にはなりません。
ひとつのケーキを二人で分けて食べた方が美味しいと思い、分けるのが布施の精神です。
たしかにかわいそうだからとか考えてしまうと、相手に負い目を与えてしまいますね(^_^;)

布施には、「無財の布施」といい、財物以外の無形のものをあげる布施もあります。
満員電車で席を譲るなどが、無財の布施にあたります。
(もちろん相手がかわいそうだから変わるのではなく、相手に座ってもらった方が自分がうれしいから
変わってもらうのです)
その他は、笑顔の布施などもあります。

つまりは、相手を思いやる心を持ち、行動に表すことが布施波羅蜜なのです。

②持戒波羅蜜(じかいはらみつ)

持戒波羅蜜とは、下記の5つの戒をたもつことをいいます。
たったの五つです٩(ˊᗜˋ*)و
①不殺生戒(ふせっしょうかい) あらゆる生き物を殺さないように心がける
②不妄語戒(ふもうごかい)   嘘をつかないように心がける
③不偸盗戒(ふちゅうとうかい) ものを盗まないように心がける
④不邪淫戒(ふじゃいんかい)  みだらなSEXから遠ざかる
⑤不飲酒戒(ふおんじゅかい)  お酒を飲まないように心がける

戒と聞くと強い禁止のような印象を受けますが、
「戒」の原語はサンスクリット語の「シーラー」であり、
「習慣性」という意味です。つまり、「戒」は禁止ではなく、守ろうとする自発的な意志なのです。
「戒」に対し、「律(りつ)」は、法律のように他律的な強制なのです。
東南アジアのお坊さんを見ると厳しそうな生活をされてますが、彼らは「律」を重んじる教えの仏教なのです。

私たちが社会で生活する以上、やむを得ず戒を破らなければならないときがあります。
食事にしても、私はベジタリアンだから不殺生戒を破っていないということでは、決してありません。
なぜなら野菜や穀物を育てる過程で、必ず害虫を殺しています。

また、仏教では、草木も生きていると説いていますので、私たちが生き物を殺さず生きていくというのは、
不可能なのです。私たちは、命で命を繋いでいるのです。
だから、やむを得ず戒を破らなければならないときに私たちがしなければならないのは、自己反省です。
それが、戒のあり方なのです。
自分が戒を破らざるを得ない弱い人間ということを自覚することが出来れば、他人の弱さを許してあげることが、
出来るはずです。
戒を守れない人間を非難することなど、あってはありません。

持戒波羅蜜は、いかにしても所詮は弱い人間でしかありえない自分と他者との現状を認識し、
相手を認め、共に向上して行こうとする精神を持つことなのです。

③忍辱波羅蜜

仏教では、私たちの住む世界を娑婆世界(しゃばせかい)と呼びます。
サンスクリット語の「サハー」を音写したもので、意訳をすると「忍土」となります。
つまり、我々の住むこの娑婆世界はじっと耐え忍んで生きなければならない土地なのです。
私たちの世界に争いがある限り、対立があり、競争があるのはどうしようもない事実です。
ある人が大学受験で合格し、喜んでいる。しかし、その裏では誰かが不合格になって涙を流している。
昇進でも、スーパーの特売でも同じです。
私たちは、知らぬ間に他人に迷惑を与えてしまう苦痛と、
また、 他人から与えられる迷惑にじっと耐え忍ばなければならないのです。
つまり、私たちは、強く、太い精神を持ち、
互いに相手を許し合う心を持つ事が忍辱波羅蜜です。

④精進波羅蜜

精進とは、目標に向かって努力するということです。
しかし、がむしゃらに努力したらいいということではありません。
仏教の説く精進は欲望をコントロールし、足るを知る心を持ったうえでの精進です。
足るを知る心を失ってしまえば、
私たちは何ごとにも満足出来ない餓鬼になってしまいます。
ゆったりとした、のんびりとした努力。無理をせず、
いつまでも継続することが、精進波羅蜜なのです。

⑤禅定波羅蜜

禅定とは、座禅、瞑想のことです。
瞑想というのは、精神統一と精神解放の二つがあります。
心が散漫になっているときにするのが、精神統一で、
日常で物事(仕事、勉強)に執着してしまっているときにするのが、精神解放です。
1日に1回はボーーーーとする時間を作り、本来の生物が送るべき時間軸に心を置き、
執着してしまっている心や、何かに追い込まれている心を解放してあげる、
つまり、ゆとりある心を持つ事が禅定波羅蜜です。

⑥智慧波羅

私たちが布施、持戒、忍辱といった波羅蜜を実践するときには、必ず智慧というものが必要になってきます。
智慧がなければ、布施等を実践しなければならないとも考えませんし、
あるいは、布施をやってみても失敗に終わり、真の布施にならないかもしれません。
それでは、智慧とは一体何なんでしょうか?
それは、お釈迦さまが悟ることに至った真実の智慧。法華経なのです。
法華経に書かれている教えこそ、私たちが他の五波羅蜜を実践するために必要な智慧なのです。
法華経に書かれている智慧を六波羅蜜に当てはめると、
ズバリ!「人を救うことによって自分も救われる。人を敬わずにはいられない」という心構えになります。
まさに神さま仏さまみたいな精神ですね(ノω・、)゚.+。*
この精神を心がけていれば、他の五波羅蜜も自然と行うことが出来ますし、
また五波羅蜜を心がけて実践していれば、この智慧波羅蜜も自然と身に付いてくるでしょう。
まさしく、相互依存関係にあり、智慧と行動は切っても切り離すことの出来ない関係なのです。