「長者窮子(ちょうじゃぐうじ)のたとえ」って何ですか?


「長者窮子(ちょうじゃぐうじ)のたとえ」って何ですか?

「長者窮子の喩え」は仏弟子の四大声聞(仏さまの偉い弟子)が
比喩品の「三車火宅(さんしゃかたく)の喩え」の教えを聞いて理解したことを
比喩話を持ってお釈迦さまにお伝えしたお話です。
どのようなお話かと言うと、

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ある日、幼い男の子が家出をしてしまいました。

家を飛び出て、 諸国を放浪しているうちに50年という歳月が流れ、
幼い男の子も初老を迎えようとしていました。
しかし、男の生活は窮困し、その日暮らしを繰り返す毎日が続いていました。
そしてその男は、父親のいる街に流れつきました。
一方、 その男の父親は、一財産を築き上げ、 大富豪となっていましたが、
家出をした子どもを諦めることなく、 探し続けていました。
父親のいる街に流れついた男は、偶然にも父親のお屋敷の前を通りかかりと、
「こんなにも大豪邸ならきっと自分でも出来る仕事があるかもしれない」 と思い、
お屋敷の中に入って行きました。

しかし、いざ入ってみるとあまりにも立派すぎる庭園と建物に
自分なんかがこんなところに居たらダメだと思い、思わず逃げ出してしまいました。
一部始終を見ていた大富豪の父親は、
一目でその男が自分の息子であることに気づきました。
大喜びした父親は急いで使用人に息子を連れ戻しに行かせましたが、
息子は「何も悪いことしていいのに捕まえられる! 殺される!」と勘違いをし、
悶絶し気絶してしまいました。

使用人から報告を聞いた父親は、卑屈になっている息子を怖がらせないように、
みすぼらしい身りをした二人の使用人を息子のところへ送り、
スカウトさせ、屋敷で便所掃除の仕事を与えました。
仕事を得た息子は喜び、一生懸命に働きました。
父親は、 自分が実の父であることを伏せて接し、懸命に働く息子を、
「実の子のように思う」と励まし、屋敷内の仕事、
金庫番と次第に責任のある仕事を任せていきました。
男は、父親との信頼関係も築き、全財産を管理する役職にまで就きましたが、
それでも長年、 心の奥深くに沈みこまれた卑屈な心を捨てることが出来ませんでした。
自分を卑下し、貧しかった時の生活を変えられないのです。
しかし、父親は諦めませんでした。

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ある日、父親は病にかかり、 自分の死期を悟ると、 息子と国王、 要人たちを集め、

「この男が私の実の息子です。 幼い頃に家を出て行った息子です。
私の財産は全て息子に譲ります」 と、
息子が精神的にも十分に成長したと確信し、公言しました。
男は、この時初めて大富豪の主が自分の実の父親だということを知り、
父親の財産を全て譲り受けました。
息子は父親と財産を求めていなかったのに手に入れることが出来たと大喜びしました。

お釈迦さまを長者 (大富豪)、仏弟子を窮子 (大富豪の息子)、仏の智慧を財産に例え、
父親が様々な方便(仕事)をもって息子の心を成長させて卑屈な心を取り除いたように、
仏弟子を含む全ての者が仏に成れることを説かれています。

お釈迦さまといえば、あまりにも偉大な存在。
舎利弗を始めとする仏弟子は長い間教えを受ければ受けるほど、
お釈迦さまと自分たちの間に越すことの出来ない高い壁を作り、
疑うことなく壁越しに師を崇拝してきました。
しかし、お釈迦さま自身が、法華経にて仏と仏弟子は親子の関係であり、
全ての人間が仏になれるとお説きになられたのです。
お弟子たちは、お釈迦さまと同等の存在になれることを夢にも思いませんでしたが、
お釈迦さまは常に手を差し伸べて下さっていたのです。